『デッドエンドの思い出 / よしもとばなな』

デッドエンドの思い出 (文春文庫)

よしもと ばなな / 文藝春秋


商品の説明
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『デッドエンドの思い出』は、出会いのタイミングや状況の流れが人間の関係を規定していくさまを、
5つの短編によってリアルに描いた短編集である。
大学の同級生である男女の出会いと別れ、そして再会に、普遍的な人生の営みを重ねた「幽霊の家」。
会社を逆恨みする男によって毒を盛られたカレーを社員食堂で食べてしまった女性編集者の心の動きを描いた「おかあさーん!」。
小説家の「私」が子ども時代に実家のある街で体験した男の子とのせつなく甘美な時間を回想する「あったかくなんかない」。
そして、同じビルに勤める旅の雑誌を編集する男性への5年間の思いを実らせようとする女性の思いをつづった「ともちゃんの幸せ」など、
痛苦に満ちた人生の局面にそれぞれのやり方で向かい合う女性主人公の姿が肯定的にとらえられている。

登場人物の多くはネガティブな状況に置かれるが、そうした状況をやみくもに否定せず、
ニュートラルにとらえ、「世界」との和解の可能性として提出するよしもとのスタンスは、
本作において首尾一貫している。
そうした作品集全体の方向性は、よしもと自ら「これまで書いた自分の作品の中で、いちばん好き」(あとがき)と語る、
婚約者から別れを切り出された女性が陥ったデッドエンド(袋小路)的状況の中で掴む「最高の幸せ」の瞬間を描いた表題作「デッドエンドの思い出」に集約している。
人生への絶対的な肯定に満ちた短編集である。(榎本正樹)
--このテキストは、 単行本 版に関連付けられています。

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彼の気の優しさ、育ちのよさはいっしょに町を歩いているだけでよくわかった。
たとえば、公園を歩くと、風に木がざわざわ揺れて、光も揺れる。
そうすると彼は目を細めて「いいなあ」という顔をする。
子供が転べば、「ああ、転んじゃった」という顔をするし、
それを親が抱き上げれば「よかったなあ」という表情になる。
そういう素直な感覚はとにかく親から絶対的に大切な何かをもらっている人の特徴なのだ。(P12・幽霊の家)

「いつかまた縁があったら」(P50・幽霊の家)

大人にならなければ、きっと、ああいう意味のない時間、、、こたつで親しい誰かと向き合って、
少し退屈な気持ちになりながらもどちらも自分の意見に固執してとげとげすることはなく、
たまに、相手の言うことに感心しながらえんえんとじゃべったり、黙ったりしていられるということが、
セックスしたり、大喧嘩して熱く仲直りしたりすることよりもずっと貴重だということに、
あんなふうに間をおいて、衝撃的に気づくことは決してなかっただろう。(P64・幽霊の家)

「虐待された子どもは、自分の体の痛みと心を切り離すことができる」(P116・「おかあさーん!」)

 ものごとを深いところまで見ようということと、ものごとを自分なりの解釈で見ようとするのは全然違う。
自分の解釈とか、嫌悪感とか、いろいろなことがどんどんわいてくるけれど、
それをなるべくとどめないようにして、どんどん深くに入っていく。
 そうするといつしか最後の景色にたどりつく。
もうどうやっても動かない、そのできごとの最後の景色だ。(P137・あったかくなんかない)

彼らが営んでいる街中の高級な和菓子店は、一点の曇りもなく、続いていった。
ああ、これが、長く続くということの意味なんだ、と私は思った。
頼もしいだけではない、たくましいだけではない。
いつもそこにある川のように、全てを飲み込み、なかったことみたいにどんどん進んでいってしまうのだ。(P153・あったかくなんかない)






ばななさん自身、出産を控えて書かれたこの作品。
この本は、まずあとがきから読みました。
これまで書いた自分の作品の中で、いちばん好きという文を読んでどきどきしました。
カタチのない心を、こんなにもリアルに文章にできてしまうばななさんて!と思いました。
静かに強く流れる読書時間でした。
私は「幽霊の家」が一番好きです。
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by thurezure | 2012-05-11 06:09 | 読んだもの
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